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Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

ターシャ・テューダー静かな水の物語

いよいよ、明日から公開ということで、なにより多くの人が劇場に来てくれるとよいな、と思うことしきりなわけです。

およそ、100年前にうまれ、90年以上を生きた画家であり、作家であり、ガーデナーであり、というか激動の20世紀において、信念をもって生き続けた人です。

自分は、どう生きたいか。そのことだけを、できる限りにおいて実践して生きたと思います。

時代のせいにも、世の中のせいにも、人のせいにもしない。まあ、生きざまとしてかっこいいわけです。

言い訳のない生きかた。

自らの好きなことに、手を動かしつづけ、自らの作ったものを慈しみ続けた姿は、現代にはあまりみることのできない人間の姿です。

それが、音のともなった映像として、残ったことは、すごい財産かと思います。

二度の世界大戦のあった20世紀の100年、科学や進歩が良しとされ、そのなかで、人類史上もっとも、人間同士が殺しあった100年です。

その100年の中で、ターシャさんがどのように生きてきたか、それが映画では少し分かるようになっています。

世界がどうなっているか、どうなっていくかより、自分は何が好きか、なにを愛せるか、そのことにより世界とつながるほうが、豊かに平和になるような気がします。

 

映画「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」公式サイト

 

高校入学

自分もさほど勉強しなかったくせに、自分の子供には、つい勉強というか課題は期限までにちゃんとやれ、と言ってしまうのは、どうしようもなくて。

でも、自分から進んで、高校に行くと決め、そこに行くくせにそこで出せれる課題を初っ端からやらないということは、なぜそこに行くのか謎だ、と思われても仕方ない行動であるようにも思うわけで、高校には行くけれど、そこの指導には従えぬというなら、まあ、辞めたほうが双方のためと思える。

勉強しないのに大学に通う学生が、私にとっては意味がわからなかったのと同じで、自分は、なぜに行くのか謎なところには行きたくもない。

 

それでも、思うに私も高校においては、遅刻欠席こそさほどしなかったものの、苦手科目についてはとことん勉強しなかったので、そういう点ではなぜに通っていたのか、という点がなくもない。全てが合目的的に行動しないといけないわけではないけれど、何らかの目的は持っていたに越したことはない。

なるべくしかるべき目的を持って生きたほうが、将来にとって有益な方向に転べる可能性が高いように感じられるのは、錯覚ではないとは思うので、他人にとってはくだらないかもしれないような目的でも「なんとなく」よりは少しはマシなのではないか。

というのも、今の日本ほど、なんらかの目的を持ちそこに向かえば、ある程度近いところまでいけるような社会は有史以来ないかもしれない。

例えば、あまり働かずに生きていこう、という目的を持っても、わりと叶えることができるのかもしれないのだ。目的を持たないのは勿体ないとも言える。

 

だから、むやみに、勉強しろ、とは言いたくない。勉強するのが、全ての人間に当てはまる目的への可能性の扉ではないわけだからだ。

しかしそれでも、高校に自ら入ったなら、そこには高校で出される課題をクリアできる人間になるという目的はあって、然るべきはずなので、ただ「なんとなく」入ってなんとなく、過ごすなんていうのは、それが「目的」でもない限りやめてほしい。

「なんとなく生きる」という究極的な「目的」を子供が持っているのかもしれないが。

それは、現代社会を持ってしてもなお、難しい気もする。

 

でも、本来は「ただ、生きている」だけなんだとは思うけど。

勉強やら高校やらに色々なことを仮託しすぎだろうな。

なんとなくでもいいのか。

 

 

4月

家の人のもろもろの受験などがすみ、そして、自分は個人事業主になったわけです。

思えば、17年ぐらいは、会社員だったわけで。

しかし、会社に決まった時間に出勤したりするわけではなかったので、あまり会社員という自覚もなかったけれど、職業欄に会社員と書くのは楽だし、クレジットカードやローンも、会社員っていうのはきっと楽だったし、恩恵もあったのだと思う。

でも、まあ、世の中的には今後、どんどん会社員っていなくなるような気もして、若い人も無理に会社に入ることを頑張るより、自分で何か稼げるような得意技を磨く身につけることをしたほうが、これからは生きやすいような気が、実感としてはする。

だって、会社に言われたことをやりつづけても、会社が生涯面倒をみてくれる確率はどんどん下がってるし、そもそも、言われた事をやりつづけるのが、一度きりの人生として、楽しいのか、という事があり。

まあ、昭和的な高度成長期的な発想でいえば、仕事は大変なもので、我慢するから、給与が出るんだとかいうのかもしれないけれど。

しかし、東芝のように上層部が、経営ミスすれば、わりをくうのは、この我慢してきた層の人達であるようにも思い、会社に裏切られたとかなるなら、そもそも、会社に人生を左右されないようにしなくてはならなかったのではなかろうか。

会社は利用してなんぼ、というのが本来の在り方で、会社に利用されたら元も子もない。

僕個人でいえば、会社を利用させても貰ったし、利用されもして、わりかしそのバランスが五分五分な感じだったとは思っている。