Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

テレビはなくなる。

テレビ番組は、決まった時間に決まった長さでしか放送できないのに、YouTubeをはじめとしてネットは、いつでもどこからでも見られて、長さも決まってない。

これは、絶対に当たり前に勝てるわけがない。

作り手は、いろいろと御託をならべて、尺が決まっていたほうがクオリティがあがるとか、放送時間が決まっていたほうが視聴習慣でみてくれるとか、ほとんどマヤカシの新興宗教のようなことを信じている。

 

今はまだ、テレビをみる世代が辛うじて存在しているけど、あと10年もしたら確実に、テレビをみる世代はいなくなると思う。完全にいなくなるまでは、もう少しかかるかな。

 

すべてのめんにおいて、ネットに負けているのに、まだ、我が物顔しているのは、既得権益を必死に守り続けているからにすぎなくて、そんな利益はじきになくなるのは、自明の理。 

 

過去に成立していた利益を守るのは、バカげたことだけど、なかなか、新しいことに移れないのも、仕方なくて、自分なども、そういう人間なので、ダメだなと思う。

 

 

時間への折り合い

家族の暮らしを成立させるには、自分が人生の時間をだいぶ、使わないと、成立し得ない。

そういう意味では、自分の人生の時間は犠牲になっているわけだけど、その犠牲を上回る幸福と充足、安心を家族から貰っているとすると、納得ではある。

しかし、それを本当に、心から納得しているのか。

わりと、分からない。

 

人生の最終局面において、今までの道筋を全否定したくなるかもしれない。

 

家族も親子関係も、そういう意味では死ぬ瞬間まで、それが満足たりえたのか、結論は得づらい。

自分があと、3ヶ月で死ぬとなった時に、今までの時間の使い方に納得し、折り合いをつけられるのか、ちょっと分からない。

 

 

年末か。

ひとつき、休まなくても、家人をはじめ誰からも心配されることのない人生を送っており、家族最高とかは、全然思わないわけですが、それに加え、入金の関係上、キャッシングしないと生活出来なくて、なんか、なんで生きてるのか謎な感じがあるのが良い感じです。   

 

そして、若い人に完全にオッさん扱いされて、ココロがゆっくりと死んでいく感じもまた、新鮮で、平成も、ついに終わるということらしく、昭和、平成、その次と、死ななければ生きることになる自分としては、気分は後期高齢者なのであって、さっさっと、世の中から、偉そうに議会で居眠りしてるジジイが一掃されることを祈ります。

そんなに働かなくても

やはり日本人というのは、過度に真面目に働く人が多いように思うけれど、これは、ある種の民族的なDNAなのか、戦後70年の教育や制度により、培われたものなのか。

わりと、僕は戦後70年の教育制度と、社会の傾向が、大きく影響してるように思う。

 

働くことは、美徳であり、ちゃんと働けば、未来は明るいものになる、というテーゼが、脈々と生きているのだろう。

そもそも、働いてないイコール、税金を払ってない、国の世話になっている、つまりみんなの迷惑になっていると感じる人達が多いのだろう。

近代国家は、国民主権で、国民がまわしていくのだから、その一員として、ちゃんとした義務を果たせ、さもなければ‥‥という心理が抑えられないのは仕方ない。

 

働かざる者食うべからず。

まあ、はい、その通りです。

 

なもんだから、優秀に働くことが間違ってるということは、ないから、みんな働いて、周囲に認めて貰おうとするわけで、とにかく働き手として優秀な者を、最良として、義務教育や株式会社、官僚公務員システム、を作り上げてる。 

なにも、間違っていない、そして、よくできた仕組みでもある。

 

で、わりと、繁栄した。

 

そして、ふと、我にかえると、本当のところ、生理的に肉体的に、こんなにも働きたいのだろうか、と感じたりすることがでてくるわけです。

 

そんなに働かなくても、わりと、快適に生きられるのではなかろうかと、思えるような世の中であるし。

 

働かなくても、そこそこ楽しい。

もしくは、働いても、あまり楽しくならない予感がする。

 

繁栄しなくてもいいのでは。

そう思えてくる。

まあ、まだまだ世間的には、クズとか、ダメ人間、とか、みんな働くのが正義だよね、と思いたいばっかりに、レッテルを貼るわけであろうが、欲求に従えば、休みたい遊びたい、のほうが、働きたいより、勝るのではないかと、素朴には思える。

 

現行の社会システムを信じ、働くことを至上の義務とし、殉じていく人はきっと、おもいのほか多いだろうし、一定数、働き続けてくれるのは、実際には、ありがたいだろう。

働き蟻や、働きバチは、必要だろうから。

 

でも、働くのが美徳で、尊い

ちゃんと働いてる人が、優秀で尊敬されるべきというのは、実は、社会の人身御供になってくれる人募集、の誘い文句で、働いてる人そのものが、幸せになる仕組みではないので、むやみに働く事を礼賛するのは、やめましょう。

ましてや、他人に働く事を強要するのは、ほとんど暴力なんじゃなかろうかと。

 

まあ、しかしそうして、働かないでいると、働く組は多くて同調圧力がすごいので、どんどん、肩身の狭い思いにとらわれるけど。

 

 

 

 

不慮

最近、休みが少し多めであったから、あまり人に会うこともなかったので、久しぶりに人に会うとテンションがおかしい、ということに自分でも気づくわけですが、まあ、仕方ない。

自営業といえば、きこえはいいけど、所詮は無職みたいなものだし、社会的になんらゴミみたいな存在だけど、なんとか楽しくは生きているような気はしている。

 

まあ、音楽と映画と本があれば、死なない。

 

しかし、相変わらず、クソみたいなことで、家内では内戦が繰り広げられていたりして、消耗する。

台風が、接近しているのに、窓を開けて寝たい派の息子と、びしゃびしゃになるから締めろ派のママ、深夜に不毛な言い合いをしている。

まあ、十代半ばから二十代半ばまでが、第二次の男子の死ぬ確率アップ時期だと思うので、台風きてるけど、なぜか自分だけは大丈夫っしょ症候群なのは、仕方ないです。

大体において、ここらへんの年頃の男子は、自分を無敵だと思ってる節があって、自分などもそうだったけれど、どこかしら、なにしても死なないぐらいに思ってるけど、まあ、わりと死ぬので気をつけたほうがいいっていうのは、親になってようやく分かるわけです。

まあ、自分の無力無能を、うっすら理解しつつも、それを認めたら負けだし、心折れるので、必死で粋がる年代なので仕方ないということが、奥さんママには分からないようで、必然的に、不毛なバトルになるので、僕はバカバカしくてイヤになるけど。

 

まあ、自分もバカだったから、仕方ない。

とにかく、不慮の死だけはさけられたらいい。

 

 

生きやすさ、生きづらさ①

かわいいだけが正義じゃない。  

可愛いに越したことないのは、中年のオッさんからしたら、希望としてのデフォルトだけど。そんなことより、男の子も女の子も、こうありたい自分で生きられる世界がのぞましい。 

こうありたい、というフォルムが、どこからくるのか、それは既存の社会側からくる、その実、息苦しいものかもしれないけど。

 

こういう状態だったら、生きやすいというのが、様々に実現可能な世の中であれば、かなり大勢の人が幸せになると思うけれど、未だに、大多数の人間が、「しゃかい」の歯車たる演習をしつつ、育つ社会システムであるから、その歯車にのらず、生きることは孤高だったりして、大変なので、僕のように、適当に生きるのがいい気がするけれど、適当な人間は、またそういう人間独特のアイデンティティのなさでもって、死ぬこともある。

 

なにものかでもなく、周辺で、それらしい空気を吸って、死ぬ、モドキみたいな人生が似合っているヤカラとして、クソのように死ぬと思うのも、なにものかでなくてはならないような昭和の教育のさがなのか。

 

 

学校会社

どうなんだろう学校。

自分が、あまり学校や会社というものに、縁がないから、やはり、本当に必要なのかな、学校、そして会社と思ってしまう。

 

意外といらないのではないか学校も会社も。

 

というのも、学校も会社も、言われたこと、決められたことをやる能力は、身につくかもしれないけど、人がしないことや、決められたこと以上のことをする人間の出現を妨げているのではないかと思わざるを得ない。

トイレで、ウンコもできないような同調圧力のある小中学校で、自由になにかやる、なんて子供が阻害され育たないのは明らかな気もする。

 

言われたこと、決められたことを、そつなくこなす人間が必要な社会というのは、基本的には安定してる社会であることは自明かと思うけれど、今現在、この世の中が、決められたことだけをしてたら、どうにかなるかというと、わりとそうでもない、ということは、肌身で感じられることだと、認識してるのだが、世の中は広いので、わりと、そんなこともなくて、大学まで出て一流企業就職は、やはり重要なのだろうか。

 

でも、一流大学も企業も、世間一般からの今現在での評価でしかなくて、入学就職するにあたり、自分が最高にワクワクするから、選んでるかというと、甚だ疑問もあり。

価値基準の判定を自分の内側ではない外側において、世の中がよいとするから、よいと、自分ではないところに基準をおいて、生きる方向を決めると、わりとつらいのではないかと思う。

 

それはまあ、昔からそうなのかもしれないし、大体において、意に沿わないけど、勉強し就職し、恨んでるというのは、まあ、わりと聞く話だけど。けれど、まあ、それは、その価値観をおしつける先行世代がいるみたいなことがあってのことだけど、いまや、先行世代がそう言わなくても、従順に学校会社につき従い、なぜに自分が苦しいか分からずに、苦しんでるような人も多い気がして、不安定な世の中で不安定に生きるのはそれなりに怖いので、前時代の価値観に従うと、我慢もしなければ、だけど、まだかろうじて、生活は安定してるような気がする。だからこそ、学校、会社を頼みの綱にする、その気分は充分わかるけど。

本当は、みんなが自分の好きなことを好きなように追求したら、もっともっと、色々な可能性が色々なところで花開くわけで。 

 

学校や会社は、為政者には税制などでも都合がいいから、延命されるだろうけれど、今後はますます個人の幸せという側面では、ありがたくないものになる気がする。