Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

3月かよ

さっき新年だと思ってたら、もう3月だ。

 

恐ろしい時間の素早さだな。そして、毎日ジワジワと肥っている。

映画は全然観れてない。本も読めてない。

 

家族は相変わらず、好き勝手をして、迷惑をかけられる。ぼくは、ずっと真面目には働いている。10代の頃は、自分がこんなに真面目に働く人間になるとは思ってもいなかった。

わりと責任感あるんだな。

 

母も死んじゃったから、基本的にはぼくが何をしても心底哀しむ人もいない。

なのに、ちゃんと働いてるのは偉いなと思うけど。まあ、それはぼくを信用して仕事くれる人に、報いるため。

なんのために、信用を裏切らないように頑張るのかはよく分からないけど。とにかく、信用されるうちが、華だと思ってるので出来る限りは頑張る。

 

そして、信用が一応、生活費を生み出して、好きなことを出来る余裕がうまれている。

少しでも人生に余裕をもつために、信用が必要だから、がんばる、信用のための努力がまだ、キャパオーバーにならないのだから、一応シアワセなのかもしれない。

 

信用を失いかねないほどに、自分がダメになってしまったときは、どうしたらいいのか、今のところ、それが分からない。

誰か助けてくれるだろうか。

そんな人徳も人脈もない気がする。

 

 

いまは、少しの余裕を使って、ライブにいくのが、たのしみ。

 

 

きづけば地獄なのかな。

年明け前から、年が明けてからも、忙しい。

そして数年ぶりにインフルエンザになる。しかし家で仕事を進めるという。なにをやってるんだ、突然死しないか、自分で自分が心配だ。

 

それでも、働かないといけないのは、基本的に日雇い労働者なので、働かなければ、暮らしがすぐに破綻するという現実があるからで。

働かない=破綻。それがなにより自分はよく分かってるから、死んでも仕方ないということで、働いてるわけだけど、家族はそこらへん、全然実感がないのか、毎日遊び暮らしており、洗濯も掃除もゴミ出しすらしない。

ある意味で、すごい。

電気も使い放題、家にあるもの食べ散らかし放題。基本的には自分のことしかしない。

家のことをしたら、押し付けがましく言ってくる。

全体的に、とても嫌になる。

これならば、ひとりで暮らすほうがどれほどいいことか。

 

家族は、べつに協力するものでもないし、労わりあるものでもない。

個別にそれぞれが好きなことを、好きなような生活を思想を、押し通そうと、ギスギスする地獄のようなところで、その地獄を維持するための役割を押し付けられた者が一番の地獄をみる。

 

家族がいるということの喜びが失われつつある。

 

 

子供の人生に親は邪魔しかしない。

年末に、また、息子氏と奥さんがつまらないことで、喧嘩して、面倒くさい。

とにかく、家族は素晴らしい、とか、そういうのは、ほんと害悪。家族は地獄ですよ。

 

結局、親は子供を育てて、自分の価値観、自分の言うことに、従わせたいだけなので、子供からしたら、親なんてクソ厄介なもの。

自分も、それで散々、子供に圧力を加えてきたけれど、その圧力の源は社会的な正しさとか、社会的な規範、とかで、別に子供のためでもなければ、親である自分のためでもなく。

 

なんのために、子供に怒っていたのか、今となっては分からない。そういう意味で、本当に子供に対して申し訳なさすぎて、死にたいぐらいだ。

 

それでも、うちの奥さんをはじめ、世の中には、社会の正しさがあるらしく、とにかく、子供は抑圧され、正しいとされることを強要される。

 

それは、やってられない。

もう、これ以上、子供の人生になにかをするのは、やめて、勝手にがんばれと、邪魔をしないことだけをこころがけたい。

 

死ぬのはこわい。

41歳の年の瀬に、ふと、素面で、寝る間際に、もう明日の朝、目覚めないかもしれないと、恐怖を覚えた。

このまま、ねて、死ぬ可能性。

それが、ゼロではない体調と年齢。

 

生き物は、絶対死ぬので、ほんとうに哀しい。

時間は戻らず、若返ることもなく、とにかく死にむかってることだけが、真実。くつがえらない。

 

どうせ、死ぬ、そう思うと、いろいろなことに寛容な気持ちになれるような気もする。実際には、寛容な態度が、とれないけれど。

 

死にたいして、甘美な幻想を抱いてもいた10代の頃が懐かしい。夭折した文学者、ミュージシャンに憧れていた、10代の自分が逆に、とことん死から遠かったな、と思う。

 

いまは、不死の方法が発明されないものか、とおもうほどだ。

 

死にたくない。

でも、現実は肉体が滅びつつあるし、気持ち的にも、10代の頃より、はるかに、メチャクチャ死に近い。

ふとした瞬間、線路に飛び込みかねないほどには、突然な虚無におそわれる。

それもこれも、どうあがいても、死ぬということが、肉体的に精神的にも、了解しなくてはならないような、状況まで弱っているからだろう。

ことさらに、生気、覇気のない自分は、齢40にして、とにかく死ぬのがこわい。

 

 

 

土砂の意味が分からない

美しい国だ、東京オリンピックだ、万博だ、と言いながら、沖縄の海に土砂を流しこもうとしてるのだから、なんだかとても人として信用できない。

地上戦で尋常ではない被害をもたらした沖縄にいまだ、負担を強いて、何もしない中央の政治家たちは、正気なんだろうか。

 

なんで、アメリカの基地をなくすように、日本の政治家は、一丸で働き続けないのか。

 

自衛隊憲法違反か、どうかなんてことよりも、そのことのほうが重要なのでは。

 

パニック障害はさけえない。

ジャニーズの若い人が、ふたり、パニック障害で、休業するようだけど、ほんと、分かる。

 

芸能の仕事は、成功すればお金にもなる、しかし、それは唯一無二のことができるから、お金になるわけで、その唯一無二を若くても、ジャニーズに入るぐらいの子は、猛烈に求められるのだと思う。

 

プレッシャーが、身の丈をこえれば、それは、パニックにもなるというもの。

 

それは、ぼくのような、フリーランスで働く中年なども、少しばかり一緒で。なんら後ろ盾もないなかで、仕事が続くのは、その都度、ちゃんとした仕事の結果を出さなくてはならないということで。

 

仕事がこなくても恐怖で、きても、それをちゃんとした評価を得られるレベルでこなせるか、というプレッシャーに苛まれる。

パニック以前に、仕事をするのが、とにかく憂鬱で仕方ない。

 

強迫観念として、もうあの人はダメだ、と思われていないか、中年の使えないオッさんはもう終わりだと、思われていないか。

疑心暗鬼と、パニック一歩手前と、鬱。わりと、つらい。そして、そのつらさは、あまり誰にも伝わらないし、伝えると、おそらく逆に誰も仕事をくれなくなる。おそろしいことだ。

 

フリーランスで、仕事を貰う立場とは、鬱とパニックのトリガーの宝庫ではなかろうか。

 

やはり、自分で仕事をうんでいかないと、どこかで、鬱で、死ぬんじゃないかしら。

 

 

死ぬ気で働く人

税制度の狂っているところは、同じ1000万円を年に稼ぐとして、週休2日で1日8時間労働、長期休暇ありな人と、月2日ぐらいしか休めず、平均1日12時間労働の、人とを一緒な設定で税金かけることで。

 

そりゃ、死にそうになって働いてる人から、税金どーん、ってとるのと、休めて余裕ある人からどーん、ってとるのは、だいぶ、ダメージ違いますよ。

 

ましてや、家族とかいた日には、ほとんど、奴隷みたいな人生になるわけなので、なるべく、死にそうに働いている人からは、税金をとらないでいてあげられる制度にならないものか。

 

どんな働き方をしていても、それは見ずに、考慮せずに、税金をとるのは、なかなかにツライ現実であると思います。

逆に、それなら働かないでいよう、結婚やめよう、という人間が増えると思うので、政府はそこらへん、考慮していきましょうよ。

 

死ぬ気で働いてる人からは、なるべく、税金とらないで下さい。