Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

土砂の意味が分からない

美しい国だ、東京オリンピックだ、万博だ、と言いながら、沖縄の海に土砂を流しこもうとしてるのだから、なんだかとても人として信用できない。

地上戦で尋常ではない被害をもたらした沖縄にいまだ、負担を強いて、何もしない中央の政治家たちは、正気なんだろうか。

 

なんで、アメリカの基地をなくすように、日本の政治家は、一丸で働き続けないのか。

 

自衛隊憲法違反か、どうかなんてことよりも、そのことのほうが重要なのでは。

 

パニック障害はさけえない。

ジャニーズの若い人が、ふたり、パニック障害で、休業するようだけど、ほんと、分かる。

 

芸能の仕事は、成功すればお金にもなる、しかし、それは唯一無二のことができるから、お金になるわけで、その唯一無二を若くても、ジャニーズに入るぐらいの子は、猛烈に求められるのだと思う。

 

プレッシャーが、身の丈をこえれば、それは、パニックにもなるというもの。

 

それは、ぼくのような、フリーランスで働く中年なども、少しばかり一緒で。なんら後ろ盾もないなかで、仕事が続くのは、その都度、ちゃんとした仕事の結果を出さなくてはならないということで。

 

仕事がこなくても恐怖で、きても、それをちゃんとした評価を得られるレベルでこなせるか、というプレッシャーに苛まれる。

パニック以前に、仕事をするのが、とにかく憂鬱で仕方ない。

 

強迫観念として、もうあの人はダメだ、と思われていないか、中年の使えないオッさんはもう終わりだと、思われていないか。

疑心暗鬼と、パニック一歩手前と、鬱。わりと、つらい。そして、そのつらさは、あまり誰にも伝わらないし、伝えると、おそらく逆に誰も仕事をくれなくなる。おそろしいことだ。

 

フリーランスで、仕事を貰う立場とは、鬱とパニックのトリガーの宝庫ではなかろうか。

 

やはり、自分で仕事をうんでいかないと、どこかで、鬱で、死ぬんじゃないかしら。

 

 

死ぬ気で働く人

税制度の狂っているところは、同じ1000万円を年に稼ぐとして、週休2日で1日8時間労働、長期休暇ありな人と、月2日ぐらいしか休めず、平均1日12時間労働の、人とを一緒な設定で税金かけることで。

 

そりゃ、死にそうになって働いてる人から、税金どーん、ってとるのと、休めて余裕ある人からどーん、ってとるのは、だいぶ、ダメージ違いますよ。

 

ましてや、家族とかいた日には、ほとんど、奴隷みたいな人生になるわけなので、なるべく、死にそうに働いている人からは、税金をとらないでいてあげられる制度にならないものか。

 

どんな働き方をしていても、それは見ずに、考慮せずに、税金をとるのは、なかなかにツライ現実であると思います。

逆に、それなら働かないでいよう、結婚やめよう、という人間が増えると思うので、政府はそこらへん、考慮していきましょうよ。

 

死ぬ気で働いてる人からは、なるべく、税金とらないで下さい。

 

 

 

 

どのみち死ぬ。

若い頃は、まだまだ、死が、とても抽象的なものだったんだな、と40歳をすぎて、思う。死に対して、なんか、甘美な感じや、かっこいい感じを抱きながら、多くの破天荒な天才が死んでいった年を越え、のうのうと生きているうちに、肉体が衰え始め、いづれ自分は、無に帰するということが、祖父や母親、義父の死をみたことにもよって、実感されてきて、ああそのうち死ぬんだな、と思いながら、毎日がある。

その感覚は、10代、20歳頃とは、切実さが違う。

 

ふとした瞬間に、なんの脈絡もなく、生きてる先が、真っ暗で、自分というものも、失う、死が待ってるのかと思うと、絶望と同時に、なんとなく、すべてを許せるような寛容な気分も湧いたりする。

 

所詮、みんな、死ぬ。いなくなる。

そう思えば、すべての感情、愛、争い、葛藤は、無意味ともいえる。

なにをやっても、なにをなしても、死ぬ、これほど、平等なことがあるだろうか、とすら思う。

どのみち死ぬ、とてもいいことだ。

従順が、すぎるな。

大体において、日本の政治家というか、為政者は、もはや、たるみきっていて、自分たちが国民から血祭りにあげられないと、タカをくくっている。弛緩しきっているようにしか思えない。

 

まあ、大戦で信じられない規模で国民が死んでも、その責任は、うやむやになり、なにやらアメリカなどに死刑にされたり、無罪にしてもらったり、主体性も何もないまま、今度は、みんなで一生懸命戦後頑張って高度成長した、美談、みたいなことになってるけど。

 

クソボロ負けしたせいで、国内の膿を自分たちの手で一掃できなかったから。

そもそも、一掃する能力がなかったから、クソボロ負けしたのかもしれないけど。

とにかくも、お上に従順な精神は、わりと、温存され、お上に楯突こうとした面々はお互いに殺しあったりで、なんで、こうも既得権益者、クソジジイ達のおもいのまま、国が動き続けるのか、よく分からないけど。

 

まあ、そんなことは、どうでもいいことなのかもしれない。

 

すきなことをすべき

友達もいるようだし、女の子の知り合い友達もいるようだけど、そして、別に前向きに生活したいけれど、どうにも学校には行きたくないということがあるようで、子供は学校に行かない。

まあ、イヤなのを無理して、病んだり、死んでも、面白くないので行かないのは、いいとして。

自分自身は、思えば、けして積極的に学校にも仕事にも行きたいと、思ったことはないけれど、それでも実際に行かない、ってことが、今のところ、ないな、と思う。充分に性格的には、休みそうなものだけど。

しかし考えれば、おそらく、休むという行動をとって周りにはどう思われるか、ということ、社会的な評価などに対して、強気になれない、性格の弱さが自分にはあって、行かないという行動がとれないのだろう。実のところ、イヤだから行かないという行動をとれるのは、むしろ、強いし積極性の現れなのではないかとも思える。

しかし、中学や高校だと行けないということが、だいぶ、ネガティブな事としてとらえられるのにたいして、大学になると、サボること、留年すること、中退することすら、別になんらネガティブなものとして、とらえられないのはどういうことなのだろうか。

高校中退には、なにか負のイメージがあり、大学中退には、さほどの負のイメージがない、と思うのは、自分だけだろうか。

大体、世の中のイメージは、そういう感じだろう。

それにしても、日本の若者の成功のロールモデルが、ストレートに国立の大学までいって、新卒でいい会社に就職する、というもので、なんだか、めちゃくちゃモデルが貧困かつ、少ない。

自分が若い頃なども、もちろん、大学に行くのは、個人の向き不向き、得意不得意を別にして、とにかく、良いこと、っていう感じだった。

自分の高卒の親は、大学うけてほしいオーラをバンバン発していたが、そもそも、遺伝的にも、後天的にもバカなので、受からない。

それでも、とりあえず、自分が向いてることで生活は出来てるし、大学行きたかった、とは、1ミリも思ってない。

それは、それでよかったということで、そういう意味では、高校やめても、むいてることさえやれて、それがお金になれば、高校行くかどうかは、さほど問題ではないのではないか。

 

とにかく、一番の問題は、本人が行けないことに悩み、悩むことに時間を費やし、気持ちやモチベーションを、ポジティブな方向に持って行けなくなることで、高校は行かなくては行けないのようなことも、そもそもは、呪いのようなもので、好きなことで生きられれば、それでいいんだから、行かなくても、実はなんら問題ない、のであった。

 

高校に行きたくないと思うことよりも、実は、これをしてる時間が超楽しいっていうものが無い方が、よくないので、寝食わすれるほどに、好きな事を発見して、それを続けるのが、一度の人生、絶対死ぬ人生を、楽しむことになると、思う。

 

人間、絶対死ぬので、、すきなことをすべき。

いそがしさへ。

忙しすぎると、どうやってストレスを解消し、仕事を円滑に進めるかが、生命線になる、といったところがある。

ストレスで、荒れたりすると、家庭も仕事も、うまくいかなくなるので、とにかく対策は重要。

まずは、お酒。

飲みすぎると、大変だから、そんなに飲まずに、でも、スッと寝られるぐらいにはのむ。

ホッピー3杯。

わりと、よく眠れる。けれど、寝る寸前まで、やらなくてはならないことがある時は、飲めないので、そういう時はなんとなく、ストレス。

しかし、そもそもお酒で解消されてるという思い込みがあるから、飲まないとそう思うけど、ほんとは飲まなくても、大丈夫のかもしれない。

飲んだ場合は、ストレスが解消された、と思うことが大切。

そして、仕事の合間に、どうにか娯楽をいれる。通勤中、スマホで動画みたり、本読んだりするのも、相当にストレス解消回避になる。

一瞬でも書店をフラフラするだけでも、わりと、たのしい。

スマホは、隙間時間で、今自分の好きなものに、一瞬でアクセスできるので、とても役に立つ。

まあ、最後にはストレス解消、最大の方法は、忙しい仕事を、遊びだと思い込む。

嫌だな、と思ったら、すべて嫌になるので、とにかく目の前の作業の好きなところを見つける。すごい好きなところがなくても、今の作業のなかで、もっともマシ、好きといえる部分を探す。

しかしそれが、出来るようになるには、準備が必要で、まず、日常的に好きの興味範囲を広くひろげておくこと、そして、仕事仲間や仕事内容。仲間はとにかく気の合う人と仕事が出来るように気を配る。気の合わない人と仕事しなくてはならない状況をとにかく作らない。仕事内容も、自分に出来るであろう範囲を逸脱しないように、気を配る。無理はしない。

無理は、結果的に自分のクビをしめることになる。無理して、悪くなった仕事環境を再び、良いものに戻すのはものすごく大変なこと。

自分の性格や能力を見極めて、常に、小さくても興味を大量にもち、仕事をしていたら、わりと、どうにかなるのではないかと、願っている。