Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

ひさひざに、公共の場で暴れるところであった。

自営業になってはじめて、確定申告したが、その面倒くささに、自殺を考えるぐらいだけど、さらには、etaxで、送信して、受け付けました、となったので安心していたのに、音沙汰がないので、電話したら、不備があったらしく。

それなら、それと、2月12日に出してるのだから、その不備に対して、連絡くれてもいいのではないか。問題あれば、連絡する、って書いてあったし。

 

で、結果的には、青色申告ではなくなり、税金あがり、還付金さがるという、地獄のようなことになり。

 

心底、税務署にたいして、腹がたったので、本当に〇〇したくなりましたが、鎮静剤のんで、安静にして、仕事して、夜中、不備のあった書類を送らないとならないわけで。

 

どこまでいっても、生きるのは、クソ面倒くさいな。

テレビはなくなる。

テレビ番組は、決まった時間に決まった長さでしか放送できないのに、YouTubeをはじめとしてネットは、いつでもどこからでも見られて、長さも決まってない。

これは、絶対に当たり前に勝てるわけがない。

作り手は、いろいろと御託をならべて、尺が決まっていたほうがクオリティがあがるとか、放送時間が決まっていたほうが視聴習慣でみてくれるとか、ほとんどマヤカシの新興宗教のようなことを信じている。

 

今はまだ、テレビをみる世代が辛うじて存在しているけど、あと10年もしたら確実に、テレビをみる世代はいなくなると思う。完全にいなくなるまでは、もう少しかかるかな。

 

すべてのめんにおいて、ネットに負けているのに、まだ、我が物顔しているのは、既得権益を必死に守り続けているからにすぎなくて、そんな利益はじきになくなるのは、自明の理。 

 

過去に成立していた利益を守るのは、バカげたことだけど、なかなか、新しいことに移れないのも、仕方なくて、自分なども、そういう人間なので、ダメだなと思う。

 

 

時間への折り合い

家族の暮らしを成立させるには、自分が人生の時間をだいぶ、使わないと、成立し得ない。

そういう意味では、自分の人生の時間は犠牲になっているわけだけど、その犠牲を上回る幸福と充足、安心を家族から貰っているとすると、納得ではある。

しかし、それを本当に、心から納得しているのか。

わりと、分からない。

 

人生の最終局面において、今までの道筋を全否定したくなるかもしれない。

 

家族も親子関係も、そういう意味では死ぬ瞬間まで、それが満足たりえたのか、結論は得づらい。

自分があと、3ヶ月で死ぬとなった時に、今までの時間の使い方に納得し、折り合いをつけられるのか、ちょっと分からない。

 

 

年末か。

ひとつき、休まなくても、家人をはじめ誰からも心配されることのない人生を送っており、家族最高とかは、全然思わないわけですが、それに加え、入金の関係上、キャッシングしないと生活出来なくて、なんか、なんで生きてるのか謎な感じがあるのが良い感じです。   

 

そして、若い人に完全にオッさん扱いされて、ココロがゆっくりと死んでいく感じもまた、新鮮で、平成も、ついに終わるということらしく、昭和、平成、その次と、死ななければ生きることになる自分としては、気分は後期高齢者なのであって、さっさっと、世の中から、偉そうに議会で居眠りしてるジジイが一掃されることを祈ります。

そんなに働かなくても

やはり日本人というのは、過度に真面目に働く人が多いように思うけれど、これは、ある種の民族的なDNAなのか、戦後70年の教育や制度により、培われたものなのか。

わりと、僕は戦後70年の教育制度と、社会の傾向が、大きく影響してるように思う。

 

働くことは、美徳であり、ちゃんと働けば、未来は明るいものになる、というテーゼが、脈々と生きているのだろう。

そもそも、働いてないイコール、税金を払ってない、国の世話になっている、つまりみんなの迷惑になっていると感じる人達が多いのだろう。

近代国家は、国民主権で、国民がまわしていくのだから、その一員として、ちゃんとした義務を果たせ、さもなければ‥‥という心理が抑えられないのは仕方ない。

 

働かざる者食うべからず。

まあ、はい、その通りです。

 

なもんだから、優秀に働くことが間違ってるということは、ないから、みんな働いて、周囲に認めて貰おうとするわけで、とにかく働き手として優秀な者を、最良として、義務教育や株式会社、官僚公務員システム、を作り上げてる。 

なにも、間違っていない、そして、よくできた仕組みでもある。

 

で、わりと、繁栄した。

 

そして、ふと、我にかえると、本当のところ、生理的に肉体的に、こんなにも働きたいのだろうか、と感じたりすることがでてくるわけです。

 

そんなに働かなくても、わりと、快適に生きられるのではなかろうかと、思えるような世の中であるし。

 

働かなくても、そこそこ楽しい。

もしくは、働いても、あまり楽しくならない予感がする。

 

繁栄しなくてもいいのでは。

そう思えてくる。

まあ、まだまだ世間的には、クズとか、ダメ人間、とか、みんな働くのが正義だよね、と思いたいばっかりに、レッテルを貼るわけであろうが、欲求に従えば、休みたい遊びたい、のほうが、働きたいより、勝るのではないかと、素朴には思える。

 

現行の社会システムを信じ、働くことを至上の義務とし、殉じていく人はきっと、おもいのほか多いだろうし、一定数、働き続けてくれるのは、実際には、ありがたいだろう。

働き蟻や、働きバチは、必要だろうから。

 

でも、働くのが美徳で、尊い

ちゃんと働いてる人が、優秀で尊敬されるべきというのは、実は、社会の人身御供になってくれる人募集、の誘い文句で、働いてる人そのものが、幸せになる仕組みではないので、むやみに働く事を礼賛するのは、やめましょう。

ましてや、他人に働く事を強要するのは、ほとんど暴力なんじゃなかろうかと。

 

まあ、しかしそうして、働かないでいると、働く組は多くて同調圧力がすごいので、どんどん、肩身の狭い思いにとらわれるけど。

 

 

 

 

不慮

最近、休みが少し多めであったから、あまり人に会うこともなかったので、久しぶりに人に会うとテンションがおかしい、ということに自分でも気づくわけですが、まあ、仕方ない。

自営業といえば、きこえはいいけど、所詮は無職みたいなものだし、社会的になんらゴミみたいな存在だけど、なんとか楽しくは生きているような気はしている。

 

まあ、音楽と映画と本があれば、死なない。

 

しかし、相変わらず、クソみたいなことで、家内では内戦が繰り広げられていたりして、消耗する。

台風が、接近しているのに、窓を開けて寝たい派の息子と、びしゃびしゃになるから締めろ派のママ、深夜に不毛な言い合いをしている。

まあ、十代半ばから二十代半ばまでが、第二次の男子の死ぬ確率アップ時期だと思うので、台風きてるけど、なぜか自分だけは大丈夫っしょ症候群なのは、仕方ないです。

大体において、ここらへんの年頃の男子は、自分を無敵だと思ってる節があって、自分などもそうだったけれど、どこかしら、なにしても死なないぐらいに思ってるけど、まあ、わりと死ぬので気をつけたほうがいいっていうのは、親になってようやく分かるわけです。

まあ、自分の無力無能を、うっすら理解しつつも、それを認めたら負けだし、心折れるので、必死で粋がる年代なので仕方ないということが、奥さんママには分からないようで、必然的に、不毛なバトルになるので、僕はバカバカしくてイヤになるけど。

 

まあ、自分もバカだったから、仕方ない。

とにかく、不慮の死だけはさけられたらいい。

 

 

生きやすさ、生きづらさ①

かわいいだけが正義じゃない。  

可愛いに越したことないのは、中年のオッさんからしたら、希望としてのデフォルトだけど。そんなことより、男の子も女の子も、こうありたい自分で生きられる世界がのぞましい。 

こうありたい、というフォルムが、どこからくるのか、それは既存の社会側からくる、その実、息苦しいものかもしれないけど。

 

こういう状態だったら、生きやすいというのが、様々に実現可能な世の中であれば、かなり大勢の人が幸せになると思うけれど、未だに、大多数の人間が、「しゃかい」の歯車たる演習をしつつ、育つ社会システムであるから、その歯車にのらず、生きることは孤高だったりして、大変なので、僕のように、適当に生きるのがいい気がするけれど、適当な人間は、またそういう人間独特のアイデンティティのなさでもって、死ぬこともある。

 

なにものかでもなく、周辺で、それらしい空気を吸って、死ぬ、モドキみたいな人生が似合っているヤカラとして、クソのように死ぬと思うのも、なにものかでなくてはならないような昭和の教育のさがなのか。