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Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

高校入学

自分もさほど勉強しなかったくせに、自分の子供には、つい勉強というか課題は期限までにちゃんとやれ、と言ってしまうのは、どうしようもなくて。

でも、自分から進んで、高校に行くと決め、そこに行くくせにそこで出せれる課題を初っ端からやらないということは、なぜそこに行くのか謎だ、と思われても仕方ない行動であるようにも思うわけで、高校には行くけれど、そこの指導には従えぬというなら、まあ、辞めたほうが双方のためと思える。

勉強しないのに大学に通う学生が、私にとっては意味がわからなかったのと同じで、自分は、なぜに行くのか謎なところには行きたくもない。

 

それでも、思うに私も高校においては、遅刻欠席こそさほどしなかったものの、苦手科目についてはとことん勉強しなかったので、そういう点ではなぜに通っていたのか、という点がなくもない。全てが合目的的に行動しないといけないわけではないけれど、何らかの目的は持っていたに越したことはない。

なるべくしかるべき目的を持って生きたほうが、将来にとって有益な方向に転べる可能性が高いように感じられるのは、錯覚ではないとは思うので、他人にとってはくだらないかもしれないような目的でも「なんとなく」よりは少しはマシなのではないか。

というのも、今の日本ほど、なんらかの目的を持ちそこに向かえば、ある程度近いところまでいけるような社会は有史以来ないかもしれない。

例えば、あまり働かずに生きていこう、という目的を持っても、わりと叶えることができるのかもしれないのだ。目的を持たないのは勿体ないとも言える。

 

だから、むやみに、勉強しろ、とは言いたくない。勉強するのが、全ての人間に当てはまる目的への可能性の扉ではないわけだからだ。

しかしそれでも、高校に自ら入ったなら、そこには高校で出される課題をクリアできる人間になるという目的はあって、然るべきはずなので、ただ「なんとなく」入ってなんとなく、過ごすなんていうのは、それが「目的」でもない限りやめてほしい。

「なんとなく生きる」という究極的な「目的」を子供が持っているのかもしれないが。

それは、現代社会を持ってしてもなお、難しい気もする。

 

でも、本来は「ただ、生きている」だけなんだとは思うけど。

勉強やら高校やらに色々なことを仮託しすぎだろうな。

なんとなくでもいいのか。