Wの日誌

映像編集業。1977年生まれ。

ザ・ノンフィクション

6月18日と25日の二週にわたり、編集をしたphaさんの暮らしが放送されます。

 

働かないでいると肩身の狭い世の中ですが、別に働かないで、好きなことして暮らせたら、それにこしたことはないのでは、ないかと。

さらには、好きなことがお金になるのであれば、それにこしたこともない。

 

なぜか、世の多くの人は、若者は必死に働いてなんぼだ、若いうちは我慢して働くもんだという、洗脳をうけていて、つくづく戦後の高度成長期の成功体験は、この国に強固に根付いたんだなと、思わざるを得ない。

なので、今だに時代遅れの一斉板書授業してる学校なのに、規則を守る、つまり言うことをちゃんときいて、疑問を抱かず、大学までいって、企業に勤め税金をちゃんと払う、そういう時代遅れのロボットみたいな人をつくろうとする。

 

いつまでも、なんで変わらないのか、不思議でならない社会のなかで、僕と近い年齢の人が、新しいことをやっていると嬉しいし、より広く知られて、みんなもっと、自分の好きなことをして暮らす工夫をし始めるようになったらいいのに。

 

どうせ一度きりで死ぬ人生なのに、社会を気にして、ニートだからと自分を責めることなんて一ミリも無いし、社会のために役立つ人材になる必要なんてない。

人生の時間は、完全に有限である。だからこそ、それは自分のものとして、生きなくてはならない。

嫌なことは、1秒だって我慢しなくてもいいはず。

ただ、1秒の嫌なことの先にもっと、長い幸福の時間があるということはあるだろうけれど。

しかし、その1秒を我慢するかどうかを決めるのは、常に自分であるということさえ、ぶれなければいいと思う。

他人の評価、社会の価値観、家族の束縛支配、生きる指標を自分の外に置いては、どこまでも自分の時間を生きられない。

 

本当は、働くか働かないか、ということよりも、より多くの選択を自分で行えているかということなのかもしれない。

そうしないと、どこまでいっても、十全には生ききれない。

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